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ルッキズムを考える

昨今女性芸人に対する「ブスいじり」がテレビから消えていくなど、ここ数年で急進的に、アンチルッキズムの方向に社会は舵を取り始めている。生まれ持った見た目で人を差別してはいけないというのは至極真っ当で納得できる価値観であるが、この社会的なムーブメントが容姿差別への線引きを難しくしている。事実として、現代では美(見た目的な美しさ、清潔感)の重要性が高まりを見せていることは、昭和と現代のテレビ出演者を見比べれば歴然である。明らかに現代のテレビを見ると、アナウンサーから始まりお笑い芸人までもが昭和時代よりも格段に良いルックスをしている。時が流れるのと同時にアイドルやインフルエンサーの人気もSNSの普及と共に増していき、彼らのほとんどの見た目が良いのは言うまでもなく、そしてそれらの美しい人間を目にすることの多い若年層は価値観に大きな影響を受けている。

美的公平性とは

美の重視は現代社会の変えようのない流れである。自分の美しさを磨くために、ファッションやメイクをしたとしても、人の見た目は生まれ持った骨格やパーツの形によって大きく左右されてしまうし、メイクでカバーするとしても良い容姿を生まれ持った人よりも金銭や時間を割かないといけない。そのため美を重視する社会は非常に理不尽で不平等だと言えよう。その理不尽さ故に自身の容姿にコンプレックスを持つ「醜形恐怖症」に苦しめられる人間が人口の2~3%存在するなどルッキズムは大きな問題を生んでいる。だがそうは思っても周囲からの評価を保つために美を追求し続けなければいけないのである。

こうした相反する潮流の中で現代社会に暮らす我々はどう生きていけば良いのだろうか。人間の本能として見た目を重要視してしまうことは自然であり悪だと見なされるべきではないが、それを態度や言葉に出すことは許されなくなりつつある。これから我々は容姿を重んじる「動物的人間」と平等公平を重んじる「社会的人間」の狭間で生きていくことを真剣に考え直さなければならない。