Interview 元サンデー編集長 市原武法様
今回は『ワセキチ』Vol.42の中から以前、『週刊少年サンデー』の編集長を務めていた市原武法様へのインタビューをご紹介します!
__どのような経緯で編集者になったのでしょうか。
元々はレストランを経営したかったので、就活では某ファミレスチェーンのみを受けていました。ファミレスはすぐに受かったので就活を終えたのですが、周囲の友達は就活の真っ只中だったので、暇になってしまったんですよ。
そこで、もう1社受けてみようと思い、小学館を選びました。サンデーに掲載されていた『タッチ』や『うる星やつら』が好きだから、という単純な理由です(笑)結果、なぜか分からないのですが内定を貰えました。迷ったものの、レストランは回り道をしてもできると思い編集者を選びました。
__サンデー編集者としての8年間はどのような生活を送っていましたか。
配属1年目のときは編集者の仕事が何も分からなくて、足を引っ張っていた記憶しかありません。見習い期間のようなものでした。2年目からは、編集者の仕事の面白さに気づき、新人漫画家の育成に力を入れて取り組むようになりました。そして、そこから4年間編集者としての仕事に取り組み続けることでやっと漫画の手触りがわかるようになりました。編集者としての8年間は“面白いことを探す”、“才能ある新人を血眼になって探し育てる”、“ベテランの作家さんたちと怒鳴りあいながら打ち合わせをする”。これらが僕のライフワークでした。間違いなく青春時代でしたね。
__漫画編集者の仕事に目覚めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
配属1年目の秋に「編集者は人を育てる仕事である」と気づいたときです。編集部では月例賞という月に一度開催される漫画賞の審査があります。最初は点数のつけ方が全く分からず、低い点数をつけて先輩方に怒られてばかりで。最初はどうして怒られているのかまったく分かりませんでした。しかし、7月、8月、9月と審査に参加するなかで「ああ、この新人たちが未来のあだち充や青山剛昌なんだ」と気づき、新人育成に興味を持つようになりました。先輩方は何も知らない新人編集者が低い点数をつけることで、将来有望な新人漫画家の芽を摘んでしまうと怒っていたのです。僕は昔から「人と関わる仕事がしたい」と思っていたので、編集者は人を育てる仕事であると気づいてからは「こんなに面白い仕事はない。来世もこの仕事をしたい。」と思うようになりました。
__編集の仕事を頑張れるのは何故ですか。
ただただ楽しいからにつきますね。編集者として新人を育てるのも、作家と出会うのもすべてが楽しいです。例えば、僕が担当していた『いでじゅう!』のモリタイシくん、新人時代はお金がなくて厳しい生活でした。最初の頃は「ファミレス行くか」と連れて行ってましたが、デビューすると安いステーキ、回らない寿司、と、どんどん格が上がっていって(笑)。新連載で『いでじゅう!』が始まったときは記念に鉄板焼きを食べに行きました。そして、ついにはご飯を奢らなくても良くなりました(笑)。そうなると、「大人になったな、もう俺がいなくてもいいんだな。」と子育てした気分になりますね。
人間と関わって、人間が成長していく様を見ていく。尚且つ、今は無名でも未来には多くの人に愛される漫画を書くかもしれない新人漫画家。その原石を見つけて、一緒に成長していく過程がたまらないんですよね。全部楽しいですよ。新人育成に関わることで楽しくないことはない。辛いこともいっぱいあるけどね。
__編集長就任時のサンデーはどのような状況でしたか。
当時のサンデーは、組織としての秩序が崩壊していました。新連載のゴーサインを誰が出すのか分からないほど、責任の所在がはっきりしていませんでした。失敗したときの責任を誰も取りたくないからです。その姿勢に作家さんたちは大きな不信感を抱いていて、サンデーに抜本的な改革が必要だと思いました。
__そうして発表した「異例の宣言文」に込めた想いをお聞かせ下さい。
自分の本気を伝えるためです。サンデーを立て直す改革にあたり、関係者全員に「本気でやるので協力して下さい」と伝えました。その際に僕が作家さんに「失敗したら僕は辞めます。もう辞表も書いたので」と言いました。。作家さんというのは、打ち切りになったら次の日から無職です。なので編集者に対して、「サラリーマンは安定していて良いよね」と思っています。対等の立場で話すには、彼らと同じリスクを背負っていることを示さなければいけません。
それでも、言葉だけで覚悟が伝わるか不安でした。「同じリスクを背負うから協力してくれ」という言葉にどうやったら力を持たせられるか悩んだ結果、紙面に載せるしかない、と思いました。それが宣言文の本当の目的ですね。なので、極論を言ってしまうと誰も読まなくても良かった。関係者だけ読んでくれていれば、市原が本気だって分かるから。その本当の目的に付随して様々な想いを込めましたが、口先だけの言葉ではないということを関係者へ発信するための宣言文でした。
__失敗するかもしれないという不安はありましたか。
全くありませんでした。改革の道のりは厳しく、疲労困憊の毎日でしたが、日々充実していて楽しかったです。ただただ楽しい、だから続けることができました。
__編集者・編集長としても楽しかったと仰っていましたが、立て直して軌道に乗ってきた今、なぜ原作者になろうと思ったのですか?
漫画の仕事を続けるか管理職に就くか、どちらか選べと言われたら漫画の仕事を続けるだろうなというのは前々から思っていました。6年間、のたうち回って苦しんで、物語の本質にたどりついて。物語を作るための修行に25年間も費やしましたから。
今サンデーに一番足りないのは「現場力」です。自分がここまで培った物語作りのノウハウを生かして原作者になり、ヒット作を生み出す方がサンデーのためになると思っています。
__現場で漫画制作に関わるのが好きだからこそ、原作者としての道を選んだのでしょうか
そうですね。漫画というか、物語が好きなんです。妄想してるときが一番幸せだから。自分の妄想で号泣できますし。逆に、正解を求める仕事はとにかく無理。正解がない、人間の人生を描くのが物語なので。いいですよね。
__最後に、これからの目標などはありますか?
最高の物語を一つでも世に出したいですね。自分の原作で一人でも多くの若手漫画家さんに活躍してほしい。結局、編集者時代と変わらない、延長線上にある目標です。
市原武法(いちはら・たけのり)
1974年、東京生まれ。元週刊少年サンデー編集長。編集者時代は新人漫画家の発見育成に力を入れ、当時の編集長からも”エース編集者”と認められる。その後「ゲッサン」編集長を経験し、2015年当時売り上げが落ち込んでいた『週刊少年サンデー』の編集長に就任。新漫画家の育成と編集者への教育に力を入れ、見事サンデー再興を成す。2021年に小学館を退社。今後は漫画原作者として新たな人生を歩むと言う。

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