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迷いながらも進み続ける。キタニタツヤが歩む表現の道。

キタニタツヤ
現代の音楽シーンの最前線を駆け抜けるキタニタツヤ。ヒット曲を生み出し大きな存在となった今も、自分の表現と真摯に向き合い続けている。「創作することの意味とは何か」「自分らしさとは何か」。冷静な観察眼と、等身大のリアルな感情を交差させながら語られる言葉には、彼が思考を重ねてたどり着いた最新のスタンスが宿る。創作の舞台裏から、迷える大学生へ贈るメッセージまで。迷いながらも、思考を休めず歩み続けるアーティスト・キタニタツヤの“現在地”に迫るインタビュー。
キタニタツヤ|プロフィール
1996年生まれ、東京都出身。2011年、当時15歳でバンド活動を開始。東京大学在学中の2014年には「こんにちは谷田さん」名義でボカロPとしての活動を開始。その後、2017年ごろから「キタニタツヤ」名義でシンガーソングライターとして活動し、2023年、TVアニメ『呪術廻戦 懐玉・玉折』のOPテーマ「青のすみか」が大ヒット。同年、紅白歌合戦にも出場。その他さまざまなアーティストへの楽曲提供やサポートベースを務める。

キタニタツヤの次回予告

——新アルバム『DEKAI』や最近の楽曲制作についてお聞かせください。

 僕の気持ちとして、身の丈に合わないデカいことを言うっていう意味で「DEKAI」なんです。自分はこれまで思っていることをそのまま書いていて、しかも自分は割と卑屈な人間で、出過ぎたことを言ってはいけないという世界に対する遠慮がありました。基本的に自分の内側の話だけをしていたんですよね。なので「みんなこうしよう」みたいな話ってあんまりできてなかったんです。自分に自信がないことにも起因しているのかも。

 でもヒット曲があったり、知ってくれる人が増えたりして、たくさん聞いてくれるんだったら、もっと自分の身の丈に合わない、大きいことを言いたいと思って。たとえば昔のヒットソングに「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい」という歌詞があるんですけど「俺もないけど心配すんな」って続くんです。それは自分のことは棚に上げても、綺麗事を提供する美しさを表現していると僕は思いました。そいつ自体は金がないのに、なんか頼りたくなるじゃないですか。そういう魅力ってあると思って、自分もそういう像に近づきたいと思ったんです。自分も年中元気ではないけれども「元気があった方がいいよな、お前ら。俺もないけど」みたいな。それを何回も歌ってると、どんどん内面化されていく感覚があります。自分を棚に上げて、自分の理想を一旦語って、いつかその理想にたどり着くために。ちょっと無理して明るいことを言ってみたり、あるいは明るいサウンドの音楽を作ってみたりというのを最近すごく考えています。


※植木等の楽曲「だまって俺について来い」より。

 

——最近明るい音楽の登場頻度が高くなりましたよね。

 もともと明るい音楽を作りたい欲求はあったんですが、機会がなかったんです。でも最近『薫る花は凛と咲く』というアニメ主題歌の依頼があった時に「高校生のピュアな恋愛アニメの曲を書いてください」と言われて、自分の引き出しが1個増えたような感覚がありました。それで「こういうことやってもいいんだな。じゃあ、もっと明るい曲も書いていきたいな」と、どんどん欲求が生まれてきたので、そういうサウンドの音楽を作ることにも今はトライしています。

——以前「最近明るい曲作るの楽しいんだけど、死ぬほど歌詞が書けねぇ」というインスタの投稿がありましたが、それを乗り越えて明るい曲を書けるようになった過程をお聞きしたいです。

 言ってました(笑)。いや、自分としては乗り越えられた感覚はないです。「努力して明るい歌詞を書けるようになった」というよりかは、経年変化でそうなってきた感覚があります。ちょっとずつって感じ。人間は別に29歳から30歳に1つ歳をとるだけでは何も変わらないんですけど、僕の中では「30代になったぞ」という強い意識があって。「30歳になった」と口に出すと、実際に切り替わった気が勝手にする。もちろん1年の間に魔法のような変化はないけど、意識することで少し大人になった感覚があるというか。投資信託みたいなことを勉強するわけじゃないですけど「大人としてちゃんとしよう」みたいな意識が不思議と湧いてくるんですよね。だから心の中で少し余裕が出てきた感覚もあります。

 それでもまだ昨日、一昨日に書いた歌詞を改めて見て冷静になると、「待てよ、こんなに言ってもいいのかな?」「これは本当に自分の言葉か?」と悩んだりします。でも「待てよ」と思っても、GOサインを出す勇気は意識して持つようにしています。自分の中でストライクゾーンを広く取るため、今までは少しボールに外れてたものを「これもありだろう」と思おうとしています、無理やり。

創作の美味しい瞬間

——30歳になり、今まで止まることなく制作を続けられてきましたが、音楽を作る楽しみとは何でしょうか? 

 一番は、本当に無の状態から4小節とか、4秒とかだけの、いい曲の種みたいなのが生まれた時ですね。それを何回も再生してるとすごく幸せだなと感じます。その瞬間が一番「自分天才」と思うんですよ。多分それをみなさんに聞かせても「え?」って思うぐらい、まだ種の、いわばホットケーキを焼く前の生地をつまんじゃうみたいな。それをつまんでもホットケーキ作り、曲作りは全く進まないんですけど(笑)。0が1になる瞬間が一番幸せです。けど1から99にしていく時間は全部最悪。辛くて面白くねぇって思います。でもそのときは、他人の手が入るんですよ。エンジニアさんとか、プロモーションを考えてくれるスタッフとか。手が入って、MVとかがついて、100になったときに改めて自分の手を離れた感覚になるんですよね。そこも二番目に楽しいところかな。

——「青のすみか」はご自宅で制作したと聞きました。

 基本的には全部家ですね。

——楽曲を一人で制作するか、チームで制作するかを選ぶ基準があればお伺いしたいです。

 自分で完全に一人でやってる時期、人に任せる時期が行ったり来たりしています。たとえば「青のすみか」の前も人に任せてた時期はあって、それに飽きてまた一人でやろうとした時期が「青のすみか」のときでした。その後も人に任せたり、また最近は一人モードになってます。その行き来をするのはいいことだと思っていますね。ただ、本質的に自分は一人で最初から最後までやりたがる人なんですよね。自分はそれがすごく好きだし、それに喜びを感じる。「全部一人で作りきったぞ」という感覚が好きなんです。でも前の話のように、人の手を借りて意見を聞くことで自分の幅が広がるということはあるので、その都度選んでいます。

「軸がない」ことが自分の本質に近いところにある

——他の人の手が制作過程で加わるとき、これだけは守りたいという軸はありますか?

 言語化するの難しいですね。強いて言えば、自分の感覚で、ダサいと思わないことはOK、なんとなく「それは変じゃない? 」と思うようなことはNGですかね。たとえば、自分の曲の宣伝のとき、スタッフさんが変な動画を提案してくれることが多いんですけど、それは「変だけど面白いな」なのか「変だし面白くないな」なのかを悩んで、自分が嫌だと思うことはしないですね。明確に線はないですが。「自分はこういう人間で、こういうことが好きなんです」というのを知ってもらいたくて音楽をやってるのが最初にあるので、自分が嫌と思ったことをやり始めたら、本質的に良くないし、やる意味がないから、そこは守ってますね。自分が嫌だけどやった方がいいこととかもあるんで、それはやるんですけど。

 逆に、自分の軸というのを決めきることは恐ろしいと思っていて、そこから動けなくなることは嫌なんですよ。なるべく自由でありたいので。たとえば、それこそ自分のスタッフが面白いと言ったことに対して、なるべくOKでありたいと思うんです。それをNGにするときには、そうする理由をすごく考える。人に協力を仰ぐということは、その人のエッセンスが入ることを許すということだから、そこはなるべく幅広く許せるようにしてますね。

——最近はタイアップ楽曲も多いですが、依頼者からの要望と、ご自身が本当に作りたい音楽の間で悩まれた経験はありますか?

 今のところは全然ないかもしれないですね。でもたまに「キタニタツヤさんに全部お任せします」と言われて、逆に一番悩みます。そう言われても、自分がタイアップ先に寄せるべき何かはありますよね。そのアプローチを自分で考えないといけない。「なぜ僕に頼んだのか」「作品のどこにスポットを当てるか」などいろんな側面があるじゃないですか。特にそういった意図を言われず自由となると、まずスポットを当てる部分から探すことに悩んで、頭を使います。でもその悩みって「俺のやりたいことじゃないのにやらなくてはならない」という悩みではなくて、無限にある選択肢の中からどれにするかという、ポジティブな悩みです。

 逆に「キタニタツヤさんの音楽ってこういう音楽ですよね、僕らの作品はここをキタニタツヤさんらしく書いてほしいです」って相手がやりたいことがはっきりしている場合でも「そんなことやりたくないよ」とはあまり思わないタイプです。「なるほど、わかりました。それを自分らしくやってみましょう」ってすごく柔軟に考えられるタイプで、結構どんなお題でもどんとこいだから、そのお題がしっかりしてる方が嬉しいかな。

 それはやっぱり自分の軸がないという話に繋がりますよね。最近薄々気づいたこととして、自分の軸を自覚的に持っておいた方が受け取る側も受け取りやすいんだろうなというのはあります。たとえば、宮崎駿さんは宮崎駿さんの味があって、新海誠さんも新海誠さんの味がある。そして彼らはこれを自覚的にやっていると思う。みんな「この人はこういう色だよね」というクリエイターが好き。僕みたいな映像のことを全くわからないド素人でも、なにかの背景画像を見たときに「なんとなく新海誠っぽいな」と思うときってあるじゃないですか。そういう「味」を作っておくことって大事なんだなと思いながら、僕はそこを全然やってこなかったので、強いて言えば僕の軸は「自分が好きかどうか」なんですよ。自分が出した曲は全部俺の好みという一本の軸があるんですけど、周りから見たら曖昧すぎて全然違う曲に見えるし、俺だって全然違う曲たちだなと思う。しかも俺の好きは時代によって変わるから、軸を持っておくことは大事だなと思いながらも、もう取り返しのつかないところまで来たなとも思っている。ただ、年を取っていくごとに「俺はこの表現だな」というのが見つかっていくかもしれないみたいな希望もありますね。

 画家だったら、決まった画風で何個も描こうというのを意識的にやっている人が多いと思うし、バンドだったら、俺たちのサウンドはこうだよねって自然と自覚できる。でも僕は端から一人なんで、自由という良さはあるけれども、その代わりに軸を指定することが難しい。逆に、特定の軸を持って同じような曲ばかり作る自分はあまり好きではないんです。そんな自分を想像できないし、多分飽きちゃう。いろんな手法を試して、その技法を身につけていくことが面白い。「自分の軸がない」ということが自分の本質に近いところにある。でもいつか、外から見てもわかりやすい「私はこういう色の音楽家でございます」というのを指定しないと覚えてもらえないだろうな、とは思います。だから今もずっと葛藤しています。

 あとは、メジャーデビューして最初の方は、僕が出したものに対して「これこう直して」と言われることがいっぱいあって。それに対して僕は「え、ここ直す?」って思ったり、そういう意味ではジレンマ的な悩みがあったかもしれない。ただ、最近みなさん言ってくれなくなっているんです。多分ある程度歴が長くなってきたから「キタニタツヤさんの作ったものだから文句をつけてはいけないんだろう」みたいに思ってくださっている。それが自分はすごく不健全だなと思っていて。出したものに対して、リテイクが返ってこないのがすごく不安です。遠慮されてるかも、という悩みはありますね。

 

数字と自由を求めて

——最近はますますリスナーの規模が大きくなってきていますが、活動当初から現在まで、世間の評価や数字に対する意識はどのように変化してきましたか? 

 誰も俺のことを知らない頃から「一等賞になりたいぜ」と思い続けてきて、今までずっと数字のことを考えています。僕が音楽を最初に始めた現場は「ニコニコ動画」という動画サイトで、そこにはボーカロイド音楽のランキングがあり、常にポイントがつく。いわば商業音楽の縮図だったんですよね。自分の音楽は、自分が好きなように作った時点で既にそれなりの価値があると思っているんですけど、数字がつかないとやっぱり価値がないような気がしてきてしまう。「そんなことないよ」ってクリエイターの友達とかが言ってくれるんですけど「でもやっぱ」と思うんですよね。だから逆に目の前の人が増えてもプレッシャーを感じることは全然ない。「売れなきゃいけない」というのは今更考え直すこともなく思い続けています。

——数字は大きくなるとプレッシャーになるのかなと思っていました。

 よくそう言われますけど、僕はそうではない。逆に、数字が増えることで、自由になっていく感覚の方が大きいです。たとえばライブをするにも、ライブハウスでは空を飛べないけど、予算が増えればアリーナでワイヤーアクションもできるし、炎も出せるし(笑)。普段の創作においてもそう。千人しかファンがいない状態で出したら十人しか聴いてくれないような意味のわからない曲でも、百万人いるとしたら、一万人は聴いてくれるだろう、みたいな自由さもある。なのでやっぱり僕は数字が欲しいと、商業的な成功をしたいと強く思います。

——影響力を持つにつれ、アーティストとしてSNSで発言することに対し責任を感じることはありますか?

 感じなきゃいけないとは思うんですけど、知ったこっちゃないというのが本音です。自分は芸能人で発信力があるという自覚は全然ないんですよ。音楽を楽しく作っていたら、いつの間にかこうなっていた、という感覚なんですね。しかも、僕のやってるSNSは主にTwitter(現X)ですけど、15年前は「ラーメンなう」「ドロリッチなう」みたいな適当なことをつぶやく場所だったから、どうしてもそれの延長線の感覚があって。頭ではこの感覚をアップデートしないといけないとは思うんですが、本質的にはSNSをくだらねえ場所だと思っている。そんな気にする必要はない場所。ただ、それは世間は許してはくれませんよねってことで、投稿する前に140字を何回もリライトする瞬間はありますが「知らんよ、そんなこと。あんたらが勝手に見てるんじゃないか」って思っちゃう。炎上してる人を見て「バカだな、なんでこんなこと言うんだよ」って思っても「いや、本来は何を言おうが自由な、くだらない場所だしな」と思い直すと、かわいそうだという気持ちがまさってくる。

怒りや嫉妬のエネルギー量を曲作りで昇華する

——SNSと切っても切り離せない現代において、何をするにも自分を誰かと比較し続けてしまう息苦しさを感じることがあるのですが、キタニさんにもこのような感覚はありますか?

 めっちゃありますね。特に、SNSを見て何かを羨ましいって思う回数は本当に増えた。自分も高校生の時からSNSに張り付いていて、人生の半分はずっとSNSを見てますね(笑)。なのでそれが自分の本質なのか、 SNSのせいなのかもうわかんなくなっちゃってるというのはあります。でも多分SNSがない人生だったら、これほど人に対してエンヴィーの感情を抱くことはないんだろうとはしみじみ思います。

 もちろん音楽的な嫉妬もありますが、仕事関係なく生活についても同種の感情はあります。かつては画面の向こうの人たちとは距離があって、テレビ的な演出の中で見たら「すごいわね」で済んでいたのが、YouTubeで見ると近い感じがするじゃないですか。そうなると「羨ましい」の領域に入っていくんですよね。だから似たような感覚は自分にも全然あります。で、嫌なので離れようって努力してます。

——最近は離れようと努力されているんですね。

 仕事柄使わないといけないので、仕方ない部分もあるんですけど、最近は本当に見ていないですね。それでもやっぱりたまに見てしまうと、ドゥームスクローリングが始まっちゃうんですよね。危ない。ここら辺の距離の測り方は未だに模索してますね。


※ドゥームスクローリング(Doomscrolling):SNSやウェブサイトで、気が滅入るようなネガティブな情報を、自制心を失い際限なく見続けてしまう行動。 

——SNSを見ることで生まれたエンヴィーの感情が楽曲に反映されたり、音楽の作り方に関わってきたりすることはありますか?

 感情をそのまま歌詞にするタイプの曲は、若い頃はありましたが、最近はあまりやっていないです。今は、怒りの中身というよりは、自分の温度がビューンと上がった分の怒りのエネルギー量を生かして、曲作りで昇華しようと思っています。うおぉーって怒りながら制作してるうちに、全然関係ないことへの怒りになっていたりするので、怒りの中身より、自分の感情が昂ったことがすごく重要です。やっぱり自分の感情が強く動くってことはモチベーションになるので、それは大事かなと思います。

——同年代のアーティストに対する嫉妬のようなものを以前のインタビューで語られているのを拝見しました。

 結局、どれだけ負の感情を複雑に抱いたとしても、最終的にやるしかないですよね、と思って昇華させてきました。「エネルギーの量」だけが問題というか。嫉妬や劣等感があったとしても、そのエネルギー量が「じゃあ曲を作ろう、手を動かそう」という気持ちに変わるだけです。実際にそれが負の感情でなくてもいいんだろうなとは思います。しかも僕が抱えている同年代のアーティストへの感情って、リスナーに共感してもらえない。だからこれを音楽として誰かにシェアすることに意味がないと最近気づきました。でも負の感情はやっぱりあるにはあるので「じゃあ頑張って仕事するぞ」という気持ちに変えようと考える癖をつける努力はしています。

——逆に明るい感情というか、すごくいいことがあったからこれを書こうという風にはならないのですか?

 うーん。めっちゃいい映画見た。めっちゃいい音楽聴いた。いいことがあったっていうか、なんかいいものを見たときの方が多いのかな。すげえいい漫画読んで「うわぁ」ってなった後、曲を作ろうと思うことはありますね。

 だけど人生でいいことってありますか?何かのコンテンツを見る以外に楽しいことが思いつかない。

——なんでしょう。今日ちょうど誕生日なこととかですかね(笑)。でも21歳になってそろそろ……。

 そろそろ?

——後輩のフレッシュさとかにびっくりして。ちょっと今葛藤が始まってますね。年齢を重ねることの良さと悪さと。

 でもまだね、大学にいればさ、祝ってくれる人がいる。社会に出ると別に「ああ、今日誕生日なんだけどなぁ」みたいなことばっかりだと思うけど、今はまだ楽しいということで(笑)。まあでもそうか、楽しいことってあるか。

——以前「n-buna社長が曲を褒めてくれた」とSNSに投稿されていましたが、アーティスト仲間から褒められることはやはりいいことだったりしますか?

 それはありますね。自分が「こいついい曲を書くよな」って思ってる友達が褒めてくれるのはいいことですね。自分が尊敬しているクリエイターさんに初めて会った時に「あの曲がすごく好きでいいと思ってるんです」と言われることとか。この間、星野源さんのファンクラブの記事取材に呼んでいただいた時に「カルチャー」っていう曲をすごく褒めてくれて、それはすごく嬉しかった。「あ、見てくれてるんだな」と感じるので。確かにその感覚はすごく大事。好きな人に覚えてもらえるというか、好きな人の世界の中に自分という存在が入るっていうのは、やっぱり嬉しいことの一つだし、やる気につながることではありますね。


n-buna:ソングライター、編曲家、ボカロP。以前キタニタツヤがサポートベースを務めていた男女2人組のバンド・ヨルシカのギタリスト兼作曲を担当する。

大学時代は昔の貴族のような気持ちで勉強していた

——弊サークルは文系学部の学生が多いのですが、最近Xで「いらない学部ランキング」というのを見かけて、少し暗い気持ちになったことがあります。文学部で学ばれていたキタニさんは、文系学部の意義についてどう思いますか?

 そもそも大学って贅沢の部分、脂身の部分だと思うんですよね。必要な赤身の部分は高校までで十分。高校までの勉強で社会でなんとかやっていけると思う。だから大学自体に対して、大学ってそういうもので、別になくてもいいランキングに入るとは思っています。でも大学に入ることでその豊かさを享受したり、時間を4年分伸ばして、その間に耕せるものがあったりしますよね。もちろん実学を勉強してる学部もありますが、僕はそこにいたことがないので、そこに対して語ることはできないんですけど。僕が文学部に行った所感としては、昔の貴族みたいな気持ちで勉強してました。余暇の豊かさの勉強みたいな。

 文系学部で勉強することって、人間の豊かさに直結する感覚だと思うんです。やっぱり人間は独りでは生きていけないから、人間同士のコミュニケーションが必要で、それをする上で一番便利なものが文系学部で学んだこと。
 Twitter(現X)を見ていて、ジョジョの一コマを引用したスクショが流れてきたときに、それで笑えるのって、ジョジョを知っているから。これは教養なんですよね。ジョジョという例はカジュアルすぎるけれども、似たことはいっぱいあります。昔の人はシェイクスピアのセリフを引用して「ウェイ」とか言ってた。教養の面白い部分って、本質的にそこじゃないですか。「おい、やめろよ、それシェイクスピアじゃねえか」みたいな。共通の知識があってちょっと暗号っぽく会話ができるとか、この感情って言葉にしようとすると難しいんだけど「ちょうどあのシーンみたいな感覚でさ」って言った方が伝わる時もあるじゃないですか。細かい感情が伝わりやすいとか、純粋にお互い知ってることがあって嬉しいとか、それを機に仲良くなれるとか。

 それぐらいのことなので、文系学部の本質は人間同士のものなんだろうなって思います。基本的に人間がゼロから作って、言い出したことを勉強してるんじゃないですか。芸術、経済とかもそうですよね。ないものに数字を与えていろいろ考えて、みんなで考えた嘘を、本物だと信じてやっていますよね。結局それは人間同士のコミュニケーション。そうすると、コミュニケーションの土台になっているものが文系学部のやることで、それは社会の基盤になるインフラじゃんって。言語って超大事なインフラじゃないですか。それを一番扱ってるのは文系学部なのだから、それを軽んじるのって変だよねって言えるかもしれないけど、この発言自体も全部今思いついたでまかせなので(笑)。いっぱい本とか論文とかを課題で読まされると、こういうでまかせを言う能力がつく。これも大学で身についたことかもしれませんね(笑)。

創作の奥にいる人間を想像する

——少し前のXに遡って、去年の7月ごろ「全ての人は物知りな批評家よりショボい(ショボくとも)作り手であってほしい」というポストを拝見しました。創作することの重要性や、ご自身の人生において創作することの意味をお聞きしたいです。

 今のSNS時代の問題点として、奥に人間がいる感覚がしないんですよね。だからひどい言葉も言えるし、人間らしい扱いじゃなくなってしまう。だけど、人間が作ったものはすべて人間が作ってるんだぞ、と。そういう、モノの奥に人間を見ることができるようにするというのがSNSが向き合っていくべき課題だと思います。
 モノを作って世に出すと、出したモノが消費されているのを、まざまざと見ることになるんですよ。そうすると、その奥に俺がいるよってことに、意外とみんな気づいていないと感じる。僕らは普段生活していて、椅子1つとってみても、作った人、あるいはその椅子を作った機械を作った人がいるって考えないですよね。でも、モノを作ってると、その椅子に対して文句を持ったときに「いや、待てよ、この奥に人間がいるんだ」って止まれるんですよ。それがすごくいいことだと思います。
 僕も音楽作ることには慣れすぎたから、その感覚が薄れてるんですけど、絵を描く練習をしたりして、iPadに線を引いた時に、まずまっすぐ線を引くみたいな基本的なことができないことに驚くんですね。そうなると、Twitter(現X)に流れてくる、今までだったら0・1秒もかけないで流していたようなへたっぴな絵も「へたっぴか?」ってなるんですよ。「これってすごいことなんだ」と気づけてくるし、神絵師は言わずもがなですよね。

——下から見たフリーレンの絵みたいな

 あったあった(笑)。 それもそう、 意外とみんな簡単に描くことができないけど、あんな意味わからない角度のことを描けるメソッドを身につけてる人がいっぱいいる。そんなすごさに感動できる。奥にいる人間に対して敏感になれるというのはつまり、想像力の引き出しを持っていること。作り手であってほしいというのは、みんなクリエイターになって発表しろっていうより、奥に人間がいることをわかってほしくて言っています。その言い方をすごく雑にしたら、 Twitterですごい炎上して、友達から「大丈夫?」 って言われたり。でも僕はそういう風に思っていて、言い方はちゃんとした方が良かったなと思いますけど。発信者としての責任でね。音楽を作ったことがない音楽批評家もたくさんいるし、それもそれで重要な仕事だと思うんだけども、どうしても作り手のことを、手を動かしたことがある人のことを信頼しちゃうな。その言葉の方が重いんじゃないかなって思っちゃいますね。

若造の見ている世界は意外と狭い

——キタニさんは当初、編曲家や作曲家でキャリアを始めましたが、現在はシンガーソングライターでも活動していますよね。こういうキャリアの変化は想像できましたか?

 自分の想像の中に全くなかったわけではないです。元々は裏方になりたくて、作曲家の事務所に応募し、大学生の後半くらいから働き始めました。裏方として飯は食いたかったけれども、自分の責任下で曲をリリースするプロジェクトもやろうと思っていたし、大変でなければどちらもやればいいと思っていたし。表舞台に立つことも完全に想像の範囲外ではなく、もしチャンスがあったらやりたいと感じていたので、選択肢が取れるところにきたら取ろう、みたいな準備はしていましたね。心の準備だけですけど。

 僕は「自分はこれ」みたいなものを決め切らない癖があって、何でもやればいいと思っていると意外とそのチャンスが舞い込んできた時に柔軟に動けるんですよね。常につま先、かかとを浮かせて立っているというか、すぐにステップを踏めるような感覚でいたのは自分の実感としてあるし、今でも常にそうありたいと思っています。だから中島健人さんに「キタニティーも踊ろうよ」って言われてすぐ動けたのは、もしかしたらいつか踊ることもあるのかなって予想していたからだと思います。

 そういう可能性を否定しないで持っておくだけで、最初の動きが全く違うので。自分はこれって決めきってひた走る強さももちろんあるんですけど、いろいろなものに興味が向いてしまっている人も絶対にいるはず。そういう人には「そうじゃない正義もあるよ、こういうパターンもあるよ」「色々なものに興味があるんだったら、それらに対していつでもいけるように構えておくのも間違いではないよ」と言いたいです。

——キタニさんはやりたいことを現実にできるルートを探していったように思いますが、若者の中でそのようにやりたいことを行動に移せる人は多くないと感じます。

 僕の時代もSNSはあったんですけど、フリーランスの仕事をしている人が仕事について発信することはあまりなかったんですよ。作曲家は何をするのか、どうやってなるのか、とかは全然分からなかった。でも今って、作曲家が仕事の情報を気軽に発信できますよね。そ れは貴重な情報だけど、その生々しさによって逆に一歩踏み出すことを躊躇させられるかもしれない。

 だからアドバイスするとすれば「SNSを見るな」ですかね。SNSを見て情報の取捨選択をすると思うんですけど、何かをやりたいという気持ちのほかに、各々の想像する「社会的な正しい・正しくないの軸」があるでしょう。でも経験の足りない若造の想像する「社会的な正しさ」ってそんなに信用ならないと自分は思います。それは大人から見たら、意外と的外れなことも多かったりするんですよ。自分なりに「社会的にこれは正しい・正しくないだろう」ということについて考えることはもちろん大切なんだけど、それに自分の行動を縛らせるのはそんなに意味がない。「あなたの世界は大人から見たら狭いよ」って。たとえば 「22歳になって就活せずにもうちょっと旅をする」ことに対して「今更か」って思ってしまうかもしれない。でも、僕からすると就職なんか遅らせて旅したらいいのにって結構感じるので。「正しさの軸」と、「やりたいかどうか」の軸があって、どちらかと言えば「やりたいかどうか」の軸の方を優先するべきお年頃だと思います。だからSNSから入ってくる情報を元にあれこれ考えるのは今のうちは避けたほうがいい、というのが僕の意見です。

大学卒業、覚悟せよ

——自分の世界が広がったと感じるターニングポイントはありましたか?

 大学を卒業したタイミングで作曲家としての仕事が始まって、時間の使い方が全然別物になりましたね。今の事務所に所属して、4月の大学行かなくていいタイミングから結構ガラッと「え、俺この時間全部を音楽に充てなきゃいけないの?」みたいな。実は、大学生の頃はそんなに曲作りを頑張っていなくて。絶対もっと暇だったのに、なんでこんな曲数少ないのって今は思う。今どきの大学生アーティストは2ヶ月に1曲とかの頻度で出してるのに、俺は半年で1曲も出してなかった。でもちゃんと勉強してたのでやっぱり大学が忙しかったんだろうな。そこから、人生のすべての時間を音楽に使ってお金を稼ぐことになって。能動的に何かをしないといけない時間になったので、そこで人生観が一回リセットされて新しくなったかな。

 ただ、みんな就職したら「え、自分でお金を稼がないといけないの?」ってなるじゃないですか。だから結構一般的な感覚だと思うんですけど、そこのタイミングでしたね。それ以降はずっと地続きの感覚があります。だから、22歳以降は今と本質的には何も変わらなくて。時間の使い方とかも変わらないし、気の持ちようも、考え方みたいなのも大きく変わったところはないです。なので、やっぱり学生じゃなくなった瞬間が大きいですね。「覚悟しとけ」って書いといてください(笑)。

——今絶賛就活中なのでちょっと刺さりました。

 かわいそうに。

——先ほどの「若造の見ている世界は狭い」という話と繋げて、服装規定はないのに今の事務所の面接をスーツを着て受けた、というエピソードをお聞きしたことがあります。今振り返ってみたら、あのスーツには意味があったと思いますか?

 音楽雑誌のインタビューの人とかもかなり千差万別で、シャツを着て来る人もいれば短パンで来る人もいる。それぞれの流儀があってみんなあまり気にしてないんですよね。でも学生である以上「大人からのなめられ」みたいなのが発生するので、スーツはそれを防ぐための防具。本当は中身がどうしようもないやつでも、髪を黒くして綺麗なスーツを着るだけである程度ちゃんとしたように見えるっていうのは、社会が用意してくれた優しさというか。リクルートスーツをただ着るだけで社会的な信用を得られて、話を聞いてもらえるのはラッキーなことなので、「やっときゃいいんじゃない?」とは思うんですよね。歴史の中で作られたそういうルールに、フリーライドすればいいだけって思うとコスパがいい。

——就活における面接などの場面で、自分を売り出すことに難しさを感じる学生が多いと思うのですが、キタニさんはプロモーションなどをしていく中で「これが自分らしさだ」と売り出せるものはどのように獲得してきましたか。

 いや、これがずっと悩んでいるんですよ。昨日も歯を磨いている時に「俺の音楽って何がいいんだっけ?」って思った。でも、自己PRをする能力と自分の良さに気づく能力ってかなり別だと思っています。PRはその場で興味を持たせることが目的だから割と出まかせでいい。本当に思ってるわけじゃないけど、友達に言われたこととかを自分の言葉として言っていいみたいな。「自分の音楽の価値って何なんだろう?」って考えたときに「俺らしい音楽なんてないよ」「言葉が通じないところに行ったら、俺の音楽聴いてもらえないよ」と思っているんですけど、それとは別にインタビューとかで「あなたの音楽の強みは何ですか?」と聞かれたら、ちゃんと言うべきところで言うことはできる。これは自分の良さに気づくのとは全く違う能力。

 ある程度自分に対する評判を常日頃から気にすることは大事で、エゴサーチのリアルライフ版みたいなことは意識しています。別に自分ではそんなことないと思ってても、こいつにとって俺って「気が回るいいやつ」なんだとか、自分では全く自覚してなくても喋ってるうちになんとなく「こいつ俺のことこう思ってるな」っていうのはわかるじゃないですか。それを自分の中に集めておくっていうのは大事です。「きっと外から見た自分はこうなんだな」と、自分が思う自分とは全く別物として切り離して覚えておく。作ったものを紹介するときは、こっちをすぐ出せるようにしてますね。だから僕はエゴサーチ大好き。逆にしないと怖い。自分の発言が、自分的には間違っていないけど、世間的には間違っているんだろうな、とかは気にする。自分がどう思うかとは全く別問題として。

三十代の知見

——キタニさんは若いアーティストとの交流も多いと思いますが、逆に大人の立場になって「話を聞いてあげたい」と感じる若造はどんな人ですか。

 なんだろう、馴れ馴れしさじゃないですか。馴れ馴れしいを上手にする人っていうのが、年上に気に入られていくんですよ。自分が年上側に回った時に気づいたのが、すごく慇懃でかちっとしている人はこっちも緊張してしまうんですよね。年上側は常に自分が年上であることの加害性を意識するので、遠慮モードなんですよ。となると、年下側が防御を解いてパーソナルスペースに踏み込んでくれない限りはお互い距離を取って終わってしまう。なので臆せず距離を詰めてくれる人の方が、後輩的なムーブとしては正しいと僕は思っていて。でもその距離の詰め方にもグッドコミュニケーション、バッドコミュニケーションとあるんですよね。自分は上手いから言語化しづらいんですけど(笑)。距離を詰めないと何も始まらないから、仲良くなりたかったら自分から踏み込む必要があると思います。

 あと一番大事なことは、馴れ馴れしいかつ実力を示す。これがすごく重要。例えば教授に気に入られたかったらその人の課題をちゃんとやるっていう。僕も学生時代教授を選んで、この人の授業だけはちゃんとやろう、とかやってました。音楽で言ったら「こいつめっちゃ曲いいよな」っていうのがお互い共有できてる上で、馴れ馴れしい。「この人俺の曲そんな聞いてないよな」って人には俺もう全然いかないんですよ。でも「この人俺の曲すごく気に入ってくれてるよな」って人にはズカズカいく。その人に認められる自分の価値を持った上で、踏み込んでいくっていうのが一番大事かな。その価値が何なのかが難しいんですけど。

——時間の使い方についても詳しく伺いたいです。

 正直、俺も時間の使い方めっちゃ下手ですけどね。「うわ、この3時間めっちゃインスタ見て無駄にしたわ」とか全然あるんで。でも1つ言うなら、遊びたい気持ちってあるじゃないですか。そこにも何かしら意味を見出せたらいいなと思うんですよ。たとえば、僕はYouTubeをよく見るんですけど、見るならせめて英語とか今勉強している韓国語のコンテンツにしようとか。あと飲みに行くのも好きなんですけど、そのときもなるべく知らない人と喋ろう、友達から根掘り葉掘りいろんな話聞こう、みたいに何か持ち帰るものがあるといいと思ってます。もちろん「今日は仕事や勉強のことを全部忘れて遊ぶぞ」とかでもいいんですけど、遊び終わったら切り替えられるように、悔いが残らないように何かしらの目的意識を持つことは大事なんですよね。

 一番良くないのは、目的意識が全くない状態でドゥームスクローリングすることかな。だから俺は「目的意識を持ってリールを見るぞ」と思って、音楽系以外のコンテンツが出てきたら飛ばすとかしています(笑)。あと英語圏の人だったら見ててマジで意味ないようなお笑いリールとかも見ています。でも俺はノンネイティブだから英語も学べて意味あるんだ、と言える。それも完全な無意識の時間だけは無くそうという、ほんのひと足掻きなんですけど。そういう風に何かしら意識して時間を使うことは大事だろうと思って、実践しています。

——今回のインタビュー全体を通して、意外と私たちと変わらない日々の戦いがあるんだなと感じました。

 いや、マジで変わんないですよ。なんかね、その「大学生から就職して変わったよ」みたいに言ったんですけど、でも感覚としては大学時代からあんまりこう、やっぱり変わらない部分の方が大きいので「なんで俺今大人なんだろう」みたいな。最初の話と矛盾するけど、やっぱ大人って感覚もないから。いつの間にかそうなって……目をつむってパッて開けると三十歳になってます。残念でした。

——怖い。気づいたら三十代に……

大学生は人に少し迷惑をかける最後のチャンス

——最後に大学生へのメッセージや、早稲田の学生に対してのメッセージをお願いします。

  やっぱ人生の中で一番自由な時間って大学の4年間だと思っていて。時間もたくさんあるし、世の中的な「正しさ」から切り離されてていい時期だと思うんですよ。一番間違っていい時期だし、失敗する最後のチャンスな気がするので。だから「人の言うことを聞くな」とか思っちゃいます(笑)。まあなるべく自由にやったらいい。自分の「やりたい・やりたくない」を優先するというのもそうだし。あんまり他人に縛られずに、ちゃんと自分の考えたことを実行するのがいいんじゃないかなと思いますね。失敗しても、そこまで金銭的な損失もないし。なので社会的な「正しさ」は無視しましょうって、大学生に対しては思います。

 早稲田生に対してか……。なんか俺の早稲田の友達悪いやつばっかなんだけど(笑)。でも遊んでいるように見えて、みんなちゃんと仕事してるんだよなというイメージ。やっぱり高田馬場の人に迷惑をかけないように。いや、違うな。少しは迷惑をかけてもいいんだ、大学生だから。大人になってからだとみっともなくなってしまうので、だったら大学生のうちに。大人になったら「もうあの頃はね、おいたが過ぎましたけど、今はこんなにちゃんとしました」ってなるので、今のうちですよ。高田馬場に迷惑をかけましょう。10年後人に迷惑をかけないために、今迷惑をかけるぞっていう意識で。いや本当にね、西武新宿線ユーザーだったんで、マジでムカついてましたけど(笑)。

——申し訳ないです。

 こいつら(笑)。