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「先送りせず、決断する」リーダーとしての責任  野田佳彦インタビュー 

 

本インタビューは2026年6月に行われたものです

政治の現場に触れた学生時代

 

――大学時代はどのような学生でしたか。

 大学時代はアルバイトばかりやってました。そんなに豊かな家庭ではなかったので、自分で多少は稼いでいかないとと思いまして、塾講師やビラ配りなんかをしてました。ビラ配りは今に活きてますね(笑)。それと、そのころ「新自由主義研究会」というサークルができたんですよ。新自由クラブの政策を勉強しようというサークルだったんですけど、そのサークルに入って、ビラ配りやポスター貼りなんかをやっていました。政治学科で学ぶなら、実際の政治を現場で見たいと思ったんです。19歳、大学1年生の時に経験したことが、今の政治活動の原点ですね。 

 

――大学卒業後、就職ではなく松下政経塾への入塾を選んだのはなぜですか。

 もともとは政治家になんてなろうと思わなかったんですよ。しゃべるのも苦手だし、人前も嫌いなシャイな少年だったから。もともと政治学科に入ったのも、立花隆さんが「田中金脈問題」について記事を出したのを見たからなんですよ。田中角栄さんはそれがきっかけで失脚したわけだからね。だから「ペン一本で政治が変わるんだ」と思って、メディアを志望してたんですよ。実際、メディア系の会社からほぼ内定ももらっていました。でも、新聞で「松下政経塾 第一期生募集」という広告を見つけてね。どうやらあの松下幸之助さんが世直しをするための人材育成を始めるらしいと。パンフレットを見ると、一期生だから実体がなくてイラストばかりだったんだけど、座学ではなく現場で汗をかきながらリーダーの研修をするという内容でした。それを見て「これは夢があるな」と。当時は政治家になろうなんて思ってなかったんだけど「自分を変えられるかもしれない」と思って入塾を決めました。不安はもちろんありましたけど、あのとき飛び込んだから人生が動いたんですね。

 

 

駅前から世論をつかむ

 

——野田さんは、毎朝船橋市内のいろいろな駅でビラ配りや演説をする、ということを長年続けていらっしゃいます。どのような思いで続けてこられたのでしょうか。 

 最初は29歳、松下幸之助さんがご存命のとき、県議選に無所属でチャレンジしようとしたんです。だから最初、地元で人を集めて応援団を作ろうとして、昔の同級生に声をかけたりいろいろな人にお願いしたりした。公民館でお話するから来てくださいって、50人くらい入る部屋を借りたんだけど、1人だけ学校の先生が来られたんですよ。最初はね、彼も困惑してました。だって一対一だもんね(笑)。これはつらいよ。こっちもつらいよね、家庭教師じゃないんだからさ(笑)。それで「いや、そのうちだんだん人が来ますから。待っていてください」って言って喋り始めたけど、最後まで1人だったんだよね。これじゃあ勝てるわけないなと思って。「人を集める力がないのですが、どうすればいいですか」と松下幸之助さんに相談に行ったんですよ。そしたら「無理して人を集めようとするからダメなんだよ。人がいっぱいいるとこに行きなさい。皿回しやったらどうだ。皿回しやったら人集まってくるじゃないか。そこでマイク握ったらどうか」ってアドバイスしてもらった。目から鱗でさ。自分から人がいっぱいいるとこに行った方がいいんだと。でも皿回しはできないから(笑)。それで、マイクを持つようになったというのが原点だった。

 それからじわじわと知名度が上がり、評価してくれる人が増えてきたという実感があった。演説をやっていると、急いでいる人ばかりなんだけど、何か問題意識があって話しかけてくる人もいるんですよ。相談に来る人もいるわけ。だからこれが自分にとってある種の世論調査になっている。メディアでも世論調査をやっているけど、体感できる世論調査が一番信用できるじゃないですか。それで続けていたら40年経っちゃったなと。今朝もやってきましたよ。

 

――野田さんは地元(千葉県船橋市)のことをいつも大切に考えていらっしゃいますね。

 やっぱり原点は船橋のいろいろな声を聞いたことにありますね。船橋市に住んでいる人というのは、いわゆる公民世論そのものじゃないですか。都市型の選挙区で、都内で勤めたり勉強したりしている人たちがたくさんいる。その人たちの世論をつかんで、発言していこうっていうのがやっぱり基本なので。

 毎朝続けるのもつらいんですよ。前日飲み過ぎちゃったり、体調悪いときもあったり。逆風の時とかは、立ちたくないよね。叱られるために立つようなものじゃないですか。それでも、朝のラジオ体操みたいなもので、行かないと気持ち悪くなっちゃうから習慣化しましたよね。毎日やっていれば0.5mmくらいは前進している感じがします。

 40年前から、かわら版という配布物を配っているんですよ。たとえば一番大きな津田沼駅でも、最初の頃は300枚ぐらいしか配れなかったのが、今では3000枚ぐらい配れる。もちろん手伝ってくれるボランティアの方々の力もあるけど、やっぱりどの駅も10倍ぐらい増えてるんですよね。だから継続している限りは減らないんですよ。逆に続けなきゃどんどん後退しちゃうなと思うので。これからも続けていきたいですね。

 うちの妻からは「引退してもあんた立つんじゃないの、駅前を徘徊してるんじゃないの」って、言われてますけど(笑)。少なくとも現役でいる限りは、説明責任を果たしていきたいと思います。

 

――船橋市の好きなところを教えていただけますか。

 船橋はさ、ベッドタウンなんだけど、漁港があって美味しい魚がある。農業も頑張っていて、イチゴやふなっしーの梨がある。ニンジンも採れるし、産業のバランスが取れているんですよね。そういう意味では、いろいろな条件が整った住みやすいところだと思います。それに駅の数が35、鉄道の路線が9つあるんですよ。非常に便利です。だから駅頭演説向きの街なんだよね。僕はたまたま松下さんのアドバイスで駅前に立つようになったけれども、船橋はまさに政治活動には向いている街なんだなと。自分流には合っていたんだなと思いますね。

 

ファクトに基づいた報道を

 

――ご自身の発信が報道の過程で異なるニュアンスで受け取られたことなど、報道のあり方に問題点を感じたことはありますか。

 しょっちゅうありましたね。こちらとしてはメッセージ全体を通して訴えたいことがあるんだけど、肝心なところは飛ばしちゃって、枝葉のところを抜き取って、足を引っ張るような記事を書いてくることがあるからね。そんなところを記事にしちゃうのか、と思うこともあります。

 でも向こうも商売でやっているわけですから。プロとしてどういうことがネタとして生きるかとかを考えた上でのことだと思うんです。だから送り手側とは立場が違うんだなと。ただ、お互いに切磋琢磨して、なるべく共通認識を作れるようにしていかなきゃいけないとは思いますけどね。 

 

――マスメディアに求める役割はなんでしょうか。

 ファクトだけを書いてほしいですね。憶測や推測など、ファクトじゃないことを書かれちゃうとつらいんですよ。たとえば、僕が大飯原発の再稼働を決めたとき官邸がデモ隊に囲まれたことがありました。官邸から公邸に歩いて移動するときも、SPや一部メディアがぐるっとついてきたんですね。そのとき、僕が官邸前のデモ隊に対し「今日もうるさいな」と言った、という記事が出たんです。

 もちろん、言った記憶はないんですよ。言った記憶はないんだけど、記事として出てしまった。「いや、言ってないよな」と思いながらも、一度そう書かれてしまうと、もうダメになっちゃうね。

 

――SNSの発達に伴い、そういった無責任な切り取りが増えているように思えます。

 活字メディアの方は、明らかにひどい間違いがあった場合には訂正を求めたり、名誉棄損があれば法的手段を取ったりできるじゃないですか。しかし、SNSは瞬時に拡散されて取り返しがつかなくなっちゃうんですよ。活動を通じてこうしたことはよくある。

 たとえばね、新潟で講演をしたときに、ベーシックサービスの必要性について話したんです。その説明の中で「それは弱い人のための政治じゃなくて、弱い人を作らないための政治なんだ」という言い方をしたんです。でもそれが「もう弱い人のための政治は終わりだ」という切り取り方をされた。そんな話じゃないでしょうと。そういう切り抜きがSNSで一気に拡散してしまう。後からファクトチェックしてそういう趣旨の講演ではなかったと示されることもあるんだけど、そのときにはもう遅いよね。 

 SNSでは「あることないこと」というより「ないことないこと」が広がっちゃうんですね。高市さんの中傷動画疑惑も出てましたけど、ことの真相はさておき、一度レッテルを貼られちゃうと釈明するのは難しいんですよ。たとえば、うちの岡田克也や安住淳とかは選挙中、SNSで相当中傷されたんだけど。選挙期間中それらは消せないんですよね、拡散するばっかりで。だから今後こういうことをどうするかっていうのは大きな課題だと思います。ファクトなら仕方ないんだけど、ファクトじゃないことも多いしね。

 

――こうした事実に基づかない情報の拡散が、若者の政治不信を助長している側面もあると感じますが、その点についてはどのようにお考えですか。

 こういう、ただでさえ歯止めが効かなくなっている状況の中で、さらにとんでもない情報が出てきたりすると、受け取る側としては「政治家なんてこんなやつばっかりか」と思ってしまいますよね。SNSは便利なんだけど、やっぱり功罪ともにあって、特にその「罪」の部分をどうやって消していくかってことが大事だと思うんです。実際、選挙の中でSNSを規制するという議論は何回かありました。お金を使って偏った情報を流されるのを放っておくと、やっぱりやられっぱなしになる側が出てきてしまう。もちろん、言論の自由にひっかかるんで難しい問題ではあるんですけど。たとえば、選挙中は資金を使った情報発信はやっちゃいけないとか、やはり何らかの規制は必要だと思うんですよね。

野党は「納税者の番犬」

 

――野党は現在の日本政治においてどのような役割を果たすべきであるとお考えですか。

 やっぱり権力のチェックをするのが野党の役割。一方で政府が気づいてないことを提案するのも役割です。どうしても与党は官僚との付き合いが多くなって、霞が関の意見を踏まえた政策になってしまうんですよ。毎朝街頭に立っていると、政策が世論とずれてるなと思ったりするわけで。やっぱり国民感覚に基づいた政策の提言をするのが野党の役割だと思いますね。

 だから、よく犬で例えるんだけど、納税者の番犬になるわけですよ。税金を無駄遣いしてるとか、おかしな扱い方、不正があった場合には噛みつくのが野党ですよ。あるいは気づいてないところがあるならば、時の政権に「ここ掘れワンワン」と指摘するのも役割ですね。それがないと、権力は腐敗する。絶対権力は絶対腐敗する。権力のチェックや納税者の番犬という意味では、メディアと野党にはある種似てるところがあると思いますね。

 

――政権交代はなぜ必要だと思いますか。

 たとえば、ずっと同じ空気だとよどんでくるじゃないですか。時折窓を開けないと空気が悪くなるでしょ。政権もそういうものだと思うんですよね。同じように時折入れ替えなきゃ。権力はやっぱり腐敗するし、独善に陥る。たとえどんないい人たちがやってても、ずっと同じ人たちばっかりでやってると弊害が出てくるんでね。時折入れ替えをするということがやっぱり大事じゃないかなと思いますね。 

 

――今の自民党政権を評価して、政権交代は必要だとお考えですか。

 やっぱり必要だと思うんです。たとえば自民党では高市さんのもとに約300人もの議員が国力研究会というのを作りました。戦前の大政翼賛会みたいな、1人の強い人のもとに集まるという傾向があるじゃないですか。でもやっぱり多様な意見があるんでね。多様性を尊重するためには、もうちょっと多様な政治的アクターがきちんと存在感を示していかなければいけないと思います。今の政治は右に傾きすぎているし、国論を二分するようなテーマをとっとと決めてしまうような政治になってるけれども、もっと一つ一つ丁寧に、熟議を通じて答えを見出していかなければいけない時代です。そういう切り替えをするために政権交代は必要だと思いますよね。 

 やっぱり自民党の中にもいろんな人がいるので。おとなしく従ってる人が多いんだけど、もっと自分の意見を出していただければ、我々と波長が合う人もいるんですよね。まさにこれからの中道の在り方なんですけど、右に右に傾いて、ポピュリズムに行ってしまう路線に対して、もっと現実的な政策を、熟議を通じて決めていくど真ん中の路線を歩みたいと。現状、単純に立憲と公明が組んだだけの党だと思われていて、国民の中でも拒否層が多いんですよ。これからは自民党の中でも同じ考え方をしている人たち、あるいは国民民主党など、もうちょっと幅広い層から結集していくと、自民党のライバルになれると思いますのでね。それが僕らの今の課題だと思ってます。

 

民主党政権から何を学ぶか

 

――かつて民主党は政権交代をしましたが、なぜ続かなかったのだとお考えですか。

 役人の使い方を習熟してなかった。その頃はね、従来の官僚主導に対して政治主導の政治を目指してたんだけど、政治主導が強すぎてさ。たとえば役所の人に数字を上げてもらえればいいところを、自分で電卓叩いて計算するとか。時間の無駄じゃない。つまり政治主導をちょっとはき違えちゃったと。役所に入った人たちだって、日本をよくするために志を持って公務員試験を受けて通った人たちだから。同じチームとして役割分担しながらやっていけばよかったんだけど、政治主導とか官僚主導とかというイニシアチブ争いをしてたことがやっぱりマイナスになってしまった。特に総理になった時よく分かったんだけど、政権の運営ってのはとても難しいんですよ。不人気なこともやらなきゃいけないじゃないですか。そうすると支持率がだんだんと下がってくるんです。坂道で雪だるま作ってるみたいなものですね。雪だるまをみんなで持ち上げていくとだんだん大きくなっていく。上がってる時はいいんだけど、だんだん重たくなって。手が冷たくなって手離す人が出てくるとズルズル下がってくるのよね。下がってくるとこれはきついよ。下がってくるときにも、やっぱり官僚の手は必要だから。官僚に手を離されちゃってから、下がっていくのを止められなくなっちゃったんだと思います。政治家と官僚が緊張感を持ちながらもちゃんとチームを作ることができなかった。これが一つの反省点だったと思いますね。 

 今、かろうじて政権交代の経験者がいるときには政権交代できるチャンスがあると思います。もう一回最初からやり直しになると、同じように失敗する可能性もあると思うのですよね。だから今は政権交代を考える大事な時期なんだと思いますね。

 

――野田さんのお考えではやはり多党制より二大政党制の方が好ましいのですか。

 今の選挙制度自体は限りなく二大政党制を志向できる制度なんですよ。単純多数制じゃないから、完全には二大政党にならないけど。大きな与党が一つあって、もう一つの大きなライバルの党があって、その他いくつかの党がある。その他いくつかをまとめられれば政権交代可能な二大政党的な勢力にできるのでね。

 つまり二大政党制というのは今の制度的に実現可能性がある。今まさに大事な場面なんだけど、野党は政党の器作りを失敗し続けてる。だからどう器を作るかですね。新自由クラブ以来うまくいってないですよ。だから、なんとか道を見つけたいですよね。

「先送りせずに決断する」リーダーとしての責任

 

――野田さんは総理大臣をはじめとして、さまざまなリーダーを務められました。その経験からリーダーに一番必要なものとは何だとお考えですか。 

 リーダーというのはやはり決断することが仕事ですから。答えを先送りするんじゃなくて、自分が責任を持って可能な限り決断を下していくというのが仕事だと思うんですよね。

 私が総理になる前に、「エコノミスト」という海外の雑誌で「日本化する欧米(Turning Japanese )」というタイトルの特集記事が出てましてね。何だろうと思って読んでみたら、イラストが出てて、当時のアメリカ大統領のオバマとEUのリーダーだったメルケルが和服着てるんですよ。二人の後ろには富士山が描いてある。それでタイトルに日本化する欧米って書いてあるわけ。

 どういうことなんだろうと思ったら、欧州では信用不安が広がって、どんどん債務危機になってきた。メルケルはその課題を分かっているのに、問題を先送りしている。オバマは債務上限危機と言って、これも課題が分かっているのに、上院を説得しないで問題を先送りしている。つまり、先送りすることを日本化って言ってたんだね。日本化ってそういう意味かよって。その時に国際社会は日本のことをそうやって見てるんだなと思いましたね。だから、もし自分が総理になったら、日本化なんていう言葉が死語になるようにしなきゃいけないなと思いまして。先送りせずに決断しようと決心しました。

 

――野田さんが決断された中で、一番大きな決断は何でしたか。

 自分が総理やってたのは1年4ヶ月だったけど、苦しい課題ばっかりめぐり合わせてきちゃった。たとえば、大飯原発の再稼働は大変苦しい決断でしたね。東日本大震災の後だったから、原発に依存しない社会を作りたかったんだけど、夏の電力需要を見たら大変なことになりそうだった。あの時点では電力予備率が関西で3パーセント切りそうだったんですよ。夏の甲子園もあるし、ロンドンオリンピックがあったから、みんなテレビ見たら、電力がひっ迫してしまうと思った。停電によって不測の事態も起こるかもしれない。だから大変苦しい決断だったけども、再稼働を認めたんですよね。あの大震災の直後だったので、反発は大きかった。1万人ぐらいのデモ隊が官邸を囲んで、官邸だけならいいんだけど、船橋の我が家までデモ隊のコースになっちゃってね。親父が倒れた直後に作ったバリアフリーの家で、住宅ローンもいっぱい残ってたんだけど、住めなくなっちゃった。今でもたまに活動家の人たちが家の近くに来ることもあって、いまだに住めないですね。だから、決断の中で一番後遺症が残っているのは大飯原発再稼働についてですね。 

 

 

――総理になった時期が悪かったと考えたことはありますか。

 でも、そういう運命で総理になったんじゃないかって思います。それをやるというのが天命だったのかなと。

 総理になって1億2千万人の命と暮らしを抱えた時に、政党のリーダーとしては、苦しいことは先送りした方が次の選挙でプラスになるなって思っちゃうんだよね。でも、閣僚や霞が関がいくら議論しても答えが出ないテーマは最終的に総理が決めないといけない。そういうときって大体、世間に不人気なことの方が正しいんだよね。そうなるともう、決断から逃げたい。でも、その不人気なことを責任もって選ぶのが日本のリーダーの仕事だなと。そう思って決断しましたね。 

 

――たとえば、もう一度総理大臣をやれるとしたら務められますか。

 総理という職は「なろう」と思ったってなれるものじゃなくてね、こればっかりは天命だから。それに総理っていうのはそう何度もやれるものじゃないですよ。安倍さんはやりましたけれど、最近では珍しいですよね。でも僕の仕事としては、自分が総理になるというよりも、もう一回政権交代できる道筋を作るところまでだと思いますね。

 次の世代、たとえばうちの小川とか階とか、火中の栗を拾ってくれた、これから頑張ろうという人たちをしっかり育てなきゃいけない。それに落選しちゃった人の中にも結構いい人がいるんですよ。この人たちをちゃんと国政復帰できるようにするのが僕の仕事だと思うので。

自分がどうこうというより、よいチームを作ることに注力したいですね。

 

皇室典範改正、次の議論につなげられるか

 

――皇室典範の改正について、意見を述べられている記事を拝読しました。

 やっぱり、皇室は自分がずっと関わってきたテーマなんでね。責任を持っていかなければいけないと思っています。

 連日会議があって(取材時)、男系男子の養子の問題と女性皇族が結婚後も皇室に残る方針で今決まりつつありますけど、「議論の中で、次もちゃんと議論できるように痕跡を残せるかどうか」が大事なんですよ。与党が多数で、自民党の一筆で何でもできてしまう状況です。だからこそ、次もまた勝負できる状況にできるかどうかが、今やってる大事な局面なんです。

 男系男子でずっと歴史を紡いできたっていう……まあ、確かに大部分はそうなんだけれど、側室なしでそれが続くわけがないじゃないですか。

 

 

――近代天皇制の問題と前の天皇制の問題ですか?

 そうです。歴代天皇の4割は側室の子だからね。今は側室があるわけじゃないんだから。合理的に考えて、皇統の議論をちゃんとやらないといけないんですよね。

 旧宮家の方々を養子に加えるとのことですが、80年前まで宮家だった人たちでも、遡れば室町時代に遡らないと結びつかない人もいるんですよ。そういう遠縁の人たちを急に皇族にするというのは憲法の法の下の平等に反するんじゃないかと思います。さらにそもそも養子になろうという人たちがいるのかどうかですよね。

 もし、働いてる人がいたらどうしますか。たとえば、外務省で頑張っていて、やる気満々で仕事してるけど、旧宮家だからということで、養子になって皇族になるでしょうか。場合によっては、小室さんみたいになっちゃうでしょ。あの人は皇族に入らなかったけど、眞子さまと結婚しただけで大バッシングだったじゃないですか。それにどなたが養子を受け入れるのかという問題もありますよね。受け入れの可能性があるとしたら、常陸宮さまを挙げることができますが、もう90歳を超えていらっしゃるんですよ。そうなると、麻生さんの妹さんですか? 

 まだどうなるかは分からないですが、今後も注視していきたいですね。

(※)取材後の7月17日、改正皇室典範が可決された。参院の立憲民主党などの野党は反対に回り、政府が目標とした「立法府の総意」が実現されない中での成立となった。

 

野田佳彦から早稲田生へ

 

——学生、特に早稲田生に何かメッセージはありますか。

 今でもたまに早稲田に呼ばれて、講演させていただいたり、交流したりすることがあるんだけど、僕らの時代と比べて間違いなく変わったのは女性が増えたことですね。特に政治経済学部はかなり女性が増えたよね。僕らの時は3人しかいなかったから(笑)。それが変わったことはすごいことだね。でも昔に比べて地方の人の割合が減ったんじゃないかと思う。

 僕らの時はね、クラスの中で東北弁、関西弁、九州弁が飛び交っててさ。鹿児島と青森のやつがしゃべるとお互いに何を言っているか全然わからなくてね(笑)。地方色は慶應よりもはるかに強かったし、それが早稲田の魅力だと思っていたので。逆に今は、首都圏出身の学生が多くなってるのではないかと思いますね。そうすると、友達が同じ首都圏の人たちばっかりになってしまう。それだと視野が広がらないですよね。だからガンガン地方に行っていろんな現場を見てくるっていうのが、学生の時代に取り組むべきことじゃないかなと思いますね。やっぱり豊かな人生とは、住んでいる土地と別のカラーを持った地方に行って、そこを人に案内できるぐらいよく知るということ。僕は船橋以外にも親父の出身の富山とか、昔住んでた愛媛の新居浜について案内できるくらい詳しいんだけどもね。自分の住んでる街以外に、人を連れて歩けるような街をもう一つ持つこと。それは海外の街でもいい。地球上のどこでも自分がよく知っている街を作ると、豊かな人生になると思いますよ。学生の皆さんにはそんなことを念頭に生きていただければと思います。 

 

――ありがとうございました。